霊山の歴史

名峰・霊山りょうぜんの山頂にあった幻の霊山寺とは?
~南北朝時代の南朝拠点となった寺院城郭~

山頂にあった
幻の “霊山寺”

霊山の山頂には、かつては巨大な山岳寺院が存在しました。
それが、平安初期(859年)に慈覚大師によって開山された霊山寺です。
南奥州における天台宗の拠点として栄え、「霊山寺縁起」によると最盛時には3,600もの僧坊を擁していたようです。
戦乱の影響で文献史料はあまり残されておらず、発掘調査が行われるまでは、その全容はわかっていませんでした。

繁栄ぶりが
明らかになった “霊山寺”

1980年の発掘調査により、50棟もの礎石群が発見されました。
日枝神社観音堂の遺構も見つかっており、比叡山延暦寺との共通点が指摘されています。
寺屋敷、東寺屋敷、古霊山の3区分された規模は、さながら“北の比叡山”とも呼ぶべき大伽藍でした。

南北朝時代の
軍事拠点 “霊山城”

南北朝の動乱期を迎えると、南朝方の鎮守府将軍・北畠顕家と陸奥太守・義良親王は、
霊山の山頂付近に国司館を建設(1337年)します。
北畠顕家は奥羽の南朝方勢力と連携し、義良親王を奉戴して上洛するまで霊山を拠点としました。
この時期を指して「霊山城」とも呼ばれています。
奇岩に囲まれた名峰の地勢は、10年にわたり北朝方の侵攻を阻止します。
最後(1347年)は、北朝方の奥州管領・吉良貞家によって攻め滅ぼされ落城。
480年余におよぶ栄華の幕を閉じました。